2017年10月8日日曜日

私のカメラ遍歴、写真遍歴ーフィルムカメラ時代

私のカメラ遍歴、写真遍歴

ーフィルムカメラ時代


 幼稚園時代に、兄とともに父からオモチャに毛が生えたようなカメラを買ってもらいました。ブローニー判のフィルム幅を短くしたようなボルタ判という紙巻きロールフィルムを使うスタート35というカメラだったと思います。
 当時父親は、Konicaのような35mmカメラを持っていたのをおぼろげながら覚えています。
 私の生まれた頃は二眼レフを持っていたのか借りたのか分かりませんが、6☓6判密着焼きの写真が残されています。

 残念ながら幼稚園のときに撮影したであろう写真は残っていません。小学校1年生のときの遠足の写真が一枚かろうじて残ってました。自分は写っていませんが、友達とあこがれの先生がおぼろげに写っています。

 小学校3年生あたりから父のminolta UNIOMAT II を使わせてもらっていました。中学校の修学旅行は奈良、京都、大阪でしたがこのカメラを持っていき友人や寺社仏閣、お城などを撮影したことを覚えています。フィルムはネオパンSSだったかな。

 中学生のときブラスバンド部に入りアルトサックスを吹いていました。友人の部員がニコンFフォトミックを持っていて大変羨ましく思ってました。なぜなら私のあこがれの部員の写真を彼がその高級機で撮影したものを見せてもらったからでした。なんとその写真に写っている彼女はビシっとしたピントと解像度の高さで本当にリアルに見えたのです。自分もあのような立派なカメラであこがれの部員を撮影したい、その一心でした。

 たぶん恐らく、私はその頃、父にたいして「一眼レフが欲しい」ということを機会がある毎に言ってたような気がしています。
 日本写真機工業会かどこかが毎年発行していた『カメラ総合カタログ』というものが当時ありました。カメラ屋さんかどこかで購入してたと思いますが、当時それを入手していて一眼レフなど写真機・カメラについて研究してました。写真雑誌も何冊か買ってたと思います。それら雑誌には友人が所有していたNikonFはもちろん知らない魅力的な一眼レフやレンジファインダーカメラ、二眼レフや中型、大型カメラも沢山載っています。
 知らないカメラの中に私の関心を引いたカメラが何台かありました。まずはNikonのNikkomatFTN。NikonFの大衆版という感じのカメラでTTL測光装置がついています。ついでレンズのコーティングが緑色に輝いて美しくボディもスッキリしたMinoltaSRT101とMirandaでした。特にMirandaは不思議な魅力がありました。ペンタプリズムを日本で最初にカメラに付けたことと交換式であること、シャッターが上部軍艦部ではなくて前面にあることなど個性的な魅力があったと記憶しています。

ミランダの一眼レフは「☆こちらクラカメ派出所☆」HPをご参照下さい。

 どのカメラも魅力があって長い間、どれにしようかと迷ってましたが、父の経済的な事や当時出始めていたTTL中央重点開放測光にあこがれNikomatFTNが欲しいと父に伝えました。父から後になって聞いた話ですが、当時家族行きつけの散髪屋さんもカメラに詳しい人で父が彼にNikomatFTNは街でどうやったら買えるのか聞いたそうです。そうするとNikon製品であること、新製品であることで半年待っても入荷するかどうか解らないと言われたそうです。父は大阪に住む伯父に相談し大阪の写真屋に聞くと数ヶ月で入るとのことで、父が数ヶ月後にちょうど出張があるためそこで受け取ることになったそうです。
 あれは確か高等学校へ進学する直前の誕生日ではなかったかと思いますが、ちょうど父が大阪から帰ってくる日と重なっていたと思いますが、翌朝目覚めると枕元にNikomatFTN の箱が置いてあって天にも登りそうなほど喜んだことを思い出しました。このカメラで中学の時のあこがれの子は残念ながら撮れませんでしたが、高校入学後にあった修学旅行では撮影しまくったことを覚えています。このカメラは父から正式に買ってもらった最初の本格的なカメラだったこともあって、その後の私の多くのカメラ遍歴もくぐり抜け、2017年現在(既に購入から50年経っていますが)も手元に保管しています。

 低速シャッターが少し長めに切れるようですがフィルムを入れるとまだまだ撮影できると思います。3年ぶりにシャッターを押してみました。それにしてもこの時代のカメラは重たいですね。このカメラはNikonのこの時代の開放測光一眼レフと同様レンズを取り付ける時に絞りをF5.6にあわせ蟹爪で突起を挟んでガシャガシャします。これはレンズの開放F値をカメラに伝える仕組みになっています。高校のときはお金もなかったので、広角レンズはタムロン28mmを小遣いを溜めて買いました。やはり好きな子をアップで撮影するために望遠が欲しいと思っていたのですが買えませんでした。大学時代から20代前半にNikon200mmとNikon105mmを中古で買ったことを覚えています。またこの頃、野鳥を撮影したくてできるだけ安価なSOLIGOR400mmF8などという暗くて大変なレンズも購入してました。このレンズはほとんど天体望遠鏡の対物レンズのみのようなものでした。私は知らなかったのですがミランダが発売していたそうです。1978年の秋に京都市電が全面廃止されることが判り1977年ころから市電を撮影してましたが、最初はこのカメラとレンズのセットで白黒で撮っていたと思います。ただ、当時のNikonレンズがカラーで撮るとそれぞれのレンズ毎に発色が異なり困ってましたら、既にCanonは1970年からFLレンズからFDレンズに切り替わりつつあり、FDレンズはコーティングの調整で各レンズの発色を揃えているとの記事がカメラ雑誌に載るようになります。
卒業後は立命館大学へ勤務するようになり経済的にも少し余裕が出てきました。ある日Canonへの乗り換えを決心し、勤務先の近所にあって行きつけとなった荒神口の写真屋さんでFDレンズを使えるフラッグ・シップ機F-1を注文し、レンズも24mm、35mm、50mm、85mm、100mmマクロ、200mm、400mmと揃えていったことを思い出します。ボディも時を経るにつれてF-1N、AE-1、A-1、NewF-1と5台も順番に分割払いで買ってしまいました。もちろん全てそろって所持していたということはなく、売っては買いしてたような感じです。
 CanonのFDレンズで撮影した写真はキリッとしていてドライな映像が撮れる感じがしていたことを覚えています。京都市電写真の3分の2はこのFDレンズで撮影したと思います。
 ただ大変残念なことに、この時代のCanonのカメラやレンズは現在は1つも残していません。
 この頃、たまたま生活協同組合にお勤めで近所に住まっていたある方と知り合いリアリズム写真集団へのお誘いがあり、土門拳の写真にあこがれてましたのでしばらく躊躇してましたが参加したことを覚えています。
 白黒フィルムはフィルム現像から引き伸ばしまで高校時代から自分でもやってましたが、何しろ高校時代に買ったオモチャのようなプラスチックの引き伸ばし機に蛇腹カメラのレンズを外して付けたものでしたので、こちらの方も確かラッキーの引き伸ばし機に買い替えたり、その数年後にはFUJIFILMの引き伸ばし機に、レンズもラッキーの50mmを買い、引き伸ばし機の買い替えに伴ってNikonの50mm、75mmを買ったと思います。これら引き伸ばし機とレンズは2000年頃まで持ってましたが引っ越しに伴い立命館大学学生写真部に寄付しました。この頃のフィルムはネオパンSSでしたか。

 リアリズム写真集団時代には、皆さんNikon、Leica、Canon、Olympus、PENTAXなど様々なカメラを持っておられ、月1回の例会があり写真を持ち寄っては相互写真評価とレンズ評価で盛り上がっていました。年に2回くらい撮影旅行会があり、マイクロバスをレンタルして京都市電の運転手をされてたメンバーが運転して西は岡山あたりから東は長野県あたりまで、北は丹後半島から南は天川村あたりまで行った記憶があります。撮影会があった次の例会では撮影旅行で撮った皆さんの写真が集まり、同じ場所でそれぞれの「視点」で撮られているので大変おもしろくて本当に勉強になりました。
 確かこの集団に参加するころには、CanonF1とFDレンズに変更していたと思います。
 また年1回夏期には「視点展」ということで京都市立美術館の大きな1室を借りて「写真集団」のコンテストで受賞した作品たちと共に京都支部展を同時開催していました。この頃使った白黒フィルムはトライXが主で、ネオパン400、コニパン400、イルフォードHPだったでしょうか。もちろんネガカラーはコダック100&400、ポジカラーはコダクローム25&64、エクタクローム100&400も使ってました。
 一方この頃、労働組合で知り合った先輩からバードウォッチングの楽しさも案内されてたこともあり、NikomatFTN+yからCanonF1+FD400mmF4.5に乗換え野鳥の撮影を試みたこともありました。一番寒い季節の早朝、雪が積もる深泥池の湖畔に三脚を立て上記Canonセットを構えて野鳥が朝ごはんを食べるために木々を渡っていくのをじっと屈んで待っているという我慢大会のようなこともありました。でも、大変残念なことですが上手く野鳥が撮影できた記憶はあまりありません。
 写真集団では、前記のように写真の相互評価とともにカメラとレンズの相互評価もあり、支部長がある例会で自らのカメラをYashicaが満を持して出したCONTAX-RTSに乗換え、それで撮影した写真を持参しました。彼自らのカメラ、レンズ評価とともにContaxの素晴らしさが写真に現れているのを感じました(感じたと錯覚したのかもしれませんね)。調べるとカメラ本体もレンズもかなり高額です。
 Canonに乗換えてレンズも揃えてからそれほど年数がたってなくてお金もそれほどだったので、じっと我慢の連続でしたが、確か1年後くらいにRTSの廉価版で小型の139クォーツが発売され手が届きそうだったのでさっそく分割払いで50mmF1.7の標準レンズと
25mmF2.8と135mmF2.8のレンズを買った覚えがあります。その後、紆余曲折を経てCanonカメラとレンズのセットを中古カメラ屋さんに一挙に売却し、そのお金を元手に更に分割払いを組み合わせてRTSと35mmF1.4、50mmF1.4、85mmF1.4のF1.4シリーズを揃え、その後モーター巻き上げの137MDクォーツやRTSII、18mmF4.0、180mmF2.8を他のカメラを売り買いしながら揃えていったと思います。確かにContaxカメラとレンズ
はそれまでの日本のカメラとレンズに衝撃を与えたと思います。電磁シャッターやシャープだけでなく非常に階調豊かなレンズは、それまでシャープさが一番の目標だった日本のカメラとレンズの未来を大きく変えるものでした。現在、私の手元にはそれらのカメラはこれまた残念ながら残されていません。レンズは一部の除いてほぼ残しています。というのも、CONTAXブランドがYashicaから京セラに買収され(RTSIIのあたりからだったかな)、RTSはIIとなり中級クラスのカメラはつぎつぎと新しい方向に向かっていました。137MDクォーツは2台目も購入し私の最初の海外旅行でしたスペイン旅行に携帯したカメラで、一番使用したカメラとなりましたがその後調子が悪くなり1台はタダ同然に売却、
もう1台は10年後くらいに40mmのテッサー・パンケーキレンズとともに知人に贈呈したと思います。後日、アメリカ旅行したときに中古カメラ屋さんを見つけ、139クォーツの後継機Ariaとズームレンズが非常に安価に売ってたので購入した覚えがあります。この
セットは現在手元にあります。(ちなみに、このアメリカ旅行では一度手放したLeitz Minolta CLを見つけ衝動買いをしてしまいました。正確にはLeitz CLですが)また同時期に完全なマニュアル機であるS2チタンのボディ、コンパクトな高級機となったSTのボディを購入しました。このCONTAXシリーズはだいたい私の30歳代の主力カメラでした。現在は手元に前記レンズとこの3台のカメラが残されています、というか防湿機の肥やしになっています。
 実は、このカメラ・レンズ遍歴には中判カメラ伏線がありました。20歳代後半にCanonを使っていた頃、一方では二眼レフにも目覚めた事がありました。一番最初は確かYashicaの安い二眼レフを使ってましたが、幾度撮影してもシャープなビシっとした写真が撮れないので、売り払って世界でも稀なレンズ交換可能な二眼レフであるC220、C330fを購入、レンズも広角、標準、望遠と揃えました。このカメラで閉校することになった立命館大学広小路キャンパスをおよそ半年撮り続けた記憶があります。最終的にはマミヤ二眼レフセットは売り払って中古のROLLEIFLEX2.8Fを購入し、子供の写真、家族の写真、最後期の広小路キャンパス、そして移転後の衣笠キャンパスを撮影したと思います。使用時期は正確に覚えていないのですが、マミヤ645というセミ判一眼レフが発売された時に購入し使っていた覚えもありますが、もちろんこのカメラ、レンズセットも現在は残されていません。
 また伏伏線として、Leitz-Minolta CLというLeica M5の廉価版のカメラも40mmF2と90mmF4のレンズとともに購入してましたね。このカメラは確かROLLEIFLEXを購入した時に手放したような気がします。
またまた高級コンパクトカメラの創設機と思われるCONTAX-T1も購入しました。本当い高級感あふれるカメラで確かシャッターボタンは京セラ製の人工サファイアでできてたと思います。レンズが折りたたみ収納され遊べるカメラで写真もビシっと撮れますが、なにしろ操作性が快適ではなくとてもスナップをビシバシというカメラではなかったです。
 その後、売り払ってズームレンズが付いたCONTAX−TVSという高級コンパクトに乗換えました。これは良く使ってましたが、その後娘にプレゼントしたと思います。
 30歳代後半は、一時プライベイト生活の混乱もあって写真への興味が薄れ一時遠ざかってましたが、40歳代になりあるとき知人宅を訪問した時にLeicaM6を見せてもらったことがありました。それからしばらく私のレンジ・ファインダーカメラ遍歴が続くことになります。折り悪く京セラからCONTAX
 


 


らい


 



2017年7月5日水曜日

賀茂御祖神社ー通称、下鴨神社について


















下鴨神社は、大学生の時、ここの近所に住んでましたので、良く通学の途中で通ったものでした。

この神社は、入口から本殿まで大きな木からなる深い森に覆われていますのでお休みの日など、ここへ来ると森林浴のようでリフレッシュしたものでした。

その頃は特にこの神社の成り立ちなどに深い関心があったわけではなく、古代このあたりに住まった賀茂氏をお祭りした神社だということで、上賀茂神社と共に知っていたくらいです。もちろん、日本の古代史には父親の関係でそれなりの関心はあったと思います。

50代になってから仕事やプライベイトでアジア方面に行くことが多くなり、ユーラシア大陸の歴史をそれなりに勉強する機会も出てきたりしました。それから取分け中央アジアから東側の歴史に大変興味をもつようになりました。


そうこうしている中で、古代日本の歴史と大陸との関係はどうだったのだろうなとど思い始め、古代における朝鮮半島と日本、中国大陸と日本の物的、人的、文化的な交流について思いを馳せ始めます。

京都は西暦794年に平安京遷都があってからの都市ですが、それ以前はどうだったのだろうなどと妄想が止まりません。

どうやら奈良時代あたり(ひょっとしたらそれ以前)から今の京都のあたり(山城国)には、賀茂氏と秦氏の2つの有力な豪族が住まっていたことは知っておりましたが、賀茂氏、秦氏がどのような経緯でここに住みついたかなどは知りませんでした。妄想が進むにつれ、そのあたりも調べたいとの欲望が出て参った次第です。

インターネットでそのあたりを調べると、出雲や吉備、奈良などに賀茂あるいは鴨、はたまた加茂にまつわる氏族の歴史があるようです。どこも古代日本では早くから栄えた地域ですね。これから、それらについてつぶさに調べたいと考えています。

というわけで、とりあえず下鴨神社に行って参りましたので写真を載せておこうと思います。下鴨神社へ行きましたら、ちょうど式年遷宮の期間らしく行事がありました。

















2017年7月4日火曜日

KENWOOD KP-990 レコード・プレイヤーを修理(出力コード編)


KENWOOD KP-990 レコード・プレイヤーの修理(出力コード編)


 
 17年前に今のマンションに引越するとき、それまで所持してたパイオニアのLPプレイヤーPL30を手放しました。(カートリッジ達は手放してません)

 しばらく数年間プレイヤー無しでCDとテープを中心に音楽を聞いていましたが、LPが200枚ほどあったことと海外では未だにLPレコードが販売されていることを知り、評判が悪くなかったケンウッドKP-990をヤフオクで購入。
 これまた数年間聞いてました。

 5年前になりますが、ある日静かなクラシックを音量を上げて聴いていると小さいジーっという雑音がします。

 確かアースは取ってるよなと確認するとアンプのアース端子に接続されています。

もしかするとと思ってアンプに接続している出力ケーブルを動かしてみると音がしなくなったり、元の位置に戻してみると音が発生したりします。やはり出ろ区ケーブルが雑音を拾っているようです。




 しばらく思い悩みました。

 以前スピーカーケーブルを探していたときにあるメーカー製品で雑音に強いマイクケーブルがあることを思い出し、早速カナレとモガミのHPを探してみました。



 
 カナレにもモガミにもマイクケーブルや2住シールドをしているケーブルが販売されているようです。


 面倒臭いので、インターネットで切り売りしているケーブルを探しました。見つけたのはモガミのNEGLEX 2534です。1m200円くらいなので4mほど買いました。あと2本のケーブルをまとめるための熱収縮チューブとアース線に使う細手のケーブル、それからRC端子を注文。







 KP-990の裏蓋を開けると、RとLの信号およびアース線のターミナルがあります。RとLを間違えないように予めテスターで調べてマジックで書いておきます。















 その後半田ゴテで今のケーブルを外します。
 
 
 純正ケーブルよさようなら!















 購入したモガミのケーブルですが、適当な長さ(プレイヤーからアンプまでの距離を考えて)RとLを跡でRC端子をつける時に間違えなようにテープを巻いておくなど印を付けておきます。ケーブル両端の外皮をむいてからあるいはむく前に忘れずにアース線とともにチューブに入れておきます。チューブに通したらドライヤーなどでチューブを熱して入れたコードに密着させます。

 後は、プレイヤー側のRとL、それぞれのプラス、マイナス、およびアースを間違えないようにケーブルをターミナルに半田で付けます。

 ケーブルのもう一方側にはRとLのRC端子、およびアース線の端子を接続して完成!



 エイヤッと一気に交換してしまいました。


 それ以来雑音に悩まされることはありません。

2017年6月5日月曜日

フィルムカメラ用レンズ・テスト(1) ―50mmから35mmまでの近接撮影

フィルムカメラ用レンズ・テスト(1)

―50mmから35mmまでの近接撮影

フルサイズ・デジタルカメラα7IIを手に入れたので、あらためて昔から持っているフィルムカメラ(一眼レフ、レンジファインダー)用のレンズをテストしています。以前にもテストしたことがありますが、そのときは4/3(フォーサーズ)デジタルカメラでのもので、35mmレンズ全体を使ったものではなかったのです。

 今回は、標準、準標準レンズである50mmから35mmまでのレンズを近接撮影(ほぼ最短距離)テストしてみました。どのレンズも同じ位置からの撮影になります。

 使用したカメラはSONY α7II。

 テストしたレンズは下記のものですが、それぞれのレンズの絞り開放とF8.0の2ショットで撮影したものです。

 また焦点は、中央にある蜂蜜の瓶の文字"Mielbio"の"M"の文字に合わせたつもりです。ピントが外れてましたらお許し下さい。(汗)
 (他にZuiko 50mmF1.4、Nikkor 50mmF1.4、Summicron 35mm F2.0などを持ってますがアダプタが未取得なのと見逃しでテストから漏れてしまいました)

 テストは逆光で行いましたので、より古いレンズには酷なものになってしまってますが、あえて逆光にしたのは「逆光への能力」だけでなく「光の具合」がどのように違うことになるのかが良く解ると思ったためです。「光の具合」はこれまでのレンズ造りや評価では一般的にはクリアーな方が「良い」というのが基準になってきました。でも「雰囲気」づくりにはどうなのでしょうか。そのあたりの違いも見てみたいと考えました。

1. Contax-G 45mm F2.0
2. Nocton classic 40mm F1.4 (M)
3. M-Rokkor 40mm F2.0 (M)
4. Summicron 50mm F2.0 (M) 1995年製
5. Summicron 50mm F2.0 (M) 沈胴 1954年製
6. Topcor 50mm F2.0 (L) 1950年代終わり
7. Planar 50mm F1.4 (Yashica/Contax)
8. Sumaron 35mm F3.5 (L) 1949年製?
9. Distagon 35mm F1.4 (Yashica/Contax)

画像は掲載の関係上縮小していますが、その他の補正はしていません。

1. Contax-G 45mm F2.0

 (1)F2.0で撮影

 (2)F8.0で撮影


2. Nocton classic 40mm F1.4 (M)

 (1)F1.4で撮影

 (2)F8.0で撮影


3. M-Rokkor 40mm F2.0 (M)

 (1)F2.0で撮影

 (2)F8.0で撮影



4. Summicron 50mm F2.0 (M) 1995年製

 (1)F2.0で撮影

 (2)F8.0で撮影


5. Summicron 50mm F2.0 (M) 沈胴 1954年製

 (1)F2.0で撮影

 (2)F8.0で撮影

6. Topcor 50mm F2.0 (L) 1950年代終わり

 (1)F2.0で撮影


 (2)F8.0で撮影

7. Planar 50mm F1.4 (Yashica/Contax)
 (1)F1.4で撮影


 (2)F8.0で撮影

8. Sumaron 35mm F3.5 (L) 

 (1)F3.5で撮影

 (2)F8.0で撮影


9. Distagon 35mm F1.4 (Yashica/Contax)
 (1)F1.4で撮影

 (2)F8.0で撮影

 ご覧になっていかがでしょうか。

 さすがにSumaron35mmは多くの場合と同様レンズ内に曇りがあるため逆光だとなおさら盛大なハロが出てさながら霧の中のようになってますね。
 Summicron50mm沈胴も製造年が古いせいかレンズ内曇りはないのですがハロが強めです。やはり、製造年が新しくなるにつれ画像のハロが少なくクリアになってきています。
 みなさまのご感想はいかがでしょうか。
 私は、Contax-G 45mm開放が一番好ましいボケ具合かなと思いました。

                    2017年6月5日 by Sanmiguel